ミスには「しゃーない」と言う
他人のミスには、なにか言う前に必ず「しゃーない」と私は言うようにしています。
私はよくミスをします。うっかりなこともあるし、別のことを始めると直前までやっていたタスクを忘れ去ってしまうこともあります。
ただ、私が今まで勤めたバイト先の方々や家族は、よほどのことでない限りは許してくれて「次は気をつけてね」と言ってくれることがほとんどでした。
私は、人間はミスをする生き物だと思っています。これは幼いときから祖父に言われてきたことでした。
その影響もあってか、ミスを絶対許さないマンを見ると心が痛くなります。
そういうこともあって、私は他人のミスにはかならす「しゃーない」「仕方ないです」と言って一旦受け入れるようにしています。
「偏見かもだけど」
少しセンシティブなことや知識が浅いことについて話すときには「偏見かもだけど」と言うようにしています。
これはもう高校生くらいのときからの癖になってしまっています。
私は広く浅く知識をつけることを目指していて、さらに興味を持ったことを深く探求していくようにしています。
その関係で、センシティブなことやほんの少ししか知識がないことに対して質問をされた時は、相手に不明確な情報を伝えることは失礼に当たるので、「〜だと俺は思ってる」「これは偏見かもだけど」と言うようにしています。
万人がネタだとわかるネタ発言をする
ネタ発言には細心の注意を払っています。
例えば、私が超スーパーハイパー天才C++エンジニアだったとして、「Pythonはクソ言語だ」とネタとして発言したとします。
ですが、これはネタとして受け入れられるものでしょうか。
受け入れられるという方もいらっしゃるでしょうし、そうでない方もいらっしゃいます。なんなら、後者のほうがはるかに多いと思います。
こういう発言に、後で「あれはネタだから」と言及したとします。
私はこれは許されるべき行為ではなく、その発言の対象への尊敬が欠如していると、私は考えます。
ですから、ネタ発言をするときは、例えば「NVidiaが'RTX3060 Ulta'たるものを出すらしいぞ。次は'RTX3060 Ultra Super DX Type R STi'やな。」のような誰しもがネタとしてわかる発言をするようにしています。
「マジレスすると」
ネタではなく正直に話すときは「マジレスすると」と最初に必ず言うようにしています。
私の性格として、基本的にヘラヘラしていて笑っていることが多いので、ネタとして捉えられてしまいかねない状況があります。
そういうときには、必ず「マジレスすると」と頭に必ずつけ、真剣な表情で言うようにしています。
これは先述のネタ発言についての項目と併せて考えていることです。
悪口について
悪口は絶対に言わないようにしています。
私は悪口を言う人があまり好きではありません。
悪口を言ったって行った本人の評価が上がるわけでもないですし、言った対象の評価が下がるわけでもありません。逆に言った本人の評価を下げてしまうことがほとんどだと思っています。
そして、少なくとも私は悪口を言われてもストレスが溜まるだけで、無駄な時間とエネルギーを消費しているなぁという感覚になります。
なら悪口を言わないに越したことはないし、逆に褒めたほうがいいと私は考えています。
互いに対等な関係を保つ
例えば、友人が私に「このコード、どうしても正しい出力にならないんだけどどこがよくないか教えてくれないか。」と言われたとします。
ここで、私は絶対に思わないのですが、私が「なんで時間をさいてまで教えてやらなきゃいけないんだ。少しは自分で調べてくれ。」と思ったとしましょう。
こう思った時点で、私は相手のことを完全に見下していることがわかります。
それに加えて、勇気をだして質問してくれた友人も萎縮してしまいます。
これらのことは、お互いにとってメリットがないと私は考えています。
もちろん例において、全くの初心者であれば丁寧に1つずつ教えたり、すこしできる人であれば「この関数の中がおかしいかも?」と言ったりして、相手を見ながら対応は変えますが、「こんなクソ質問するな!!」と言うことは、絶対にやってはいけないことだと考えています。
性別について
まず単純に「性別」と言っても、"Sex"と"Gender"という2つのものがあります。
"Sex"は肉体的な(身体的特徴による)性別で、"Gender"は社会的な性別のことだと私は捉えています。
"Sex"に関して考えていることはあまりありません。男性だろうが女性だろうが同じ人間なのだから、同じ世界を生きる人間として尊重されるべきです。
もちろん、男性にしかない悩み、女性にしかない悩みについても、お互いに理解しようと試み尊重し歩み寄っていく必要はあると考えています。
一方"Gender"に関しては、きっぱり分けられるものではありません。Sexは男性だけれどGenderとしては女性よりである、という方もいらっしゃいます。
ここで敏感な方はお気づきかもしれませんが、私もまだ偏見があります。
先程の一文の「だけれど」という部分、これは偏見がある証拠でしょう。というか、まずこんなことを書いている時点で偏見と言われてしまいそうですね。
この偏見をゆるくしたりなくすことは、私にとっては簡単ではありません。20年間で1度も洗わなかったフライパンの焦げ付きを取り除くようなものです。
話が逸れてしまいましたが、"Gender"は尊重されるべきです。
現在の私は、たまたまSexもGenderも男性です。そして、両方とも男性というものは、現代の日本においてたまたま多数派でした。
多数派というだけで発言力は強くなりがちです。逆もまた然りです。
この章の冒頭にお話したように、Genderにおいても、男性だろうが女性だろうが同じ人間なのだから、同じ世界を生きる人間として尊重されるべきです。
おわりに
これらは私が今まで培った経験から意識していることなので、万人に当てはまることではないかもしれませんが、参考にしていただけると幸いです。
またなにか思いついたときには追記します。
※ 「性別について」を追記しました。2021年3月22日